初めまして、大日機械工業株式会社 取締役会長の小林雅弘です。
大日機械工業株式会社のホームページにお越し頂きありがとうございます。ここでは、わたくし小林のプロフィールや経営理念のご紹介を通じて、大日機械工業のことを更に詳しく知っていただければと思います。
わたくしは1970年に大学を卒業し、東京芝浦電気株式会社(現、株式会社 東芝)に入社しました。この会社を選んだ理由は、これからの世の中は原子力の時代になると思ったからです。当時いわゆる電子計算機が世の中に出てきたり、エネルギー源としての原子力が注目され始めた頃でした。
どちらの道を選ぼうか迷いましたが、東芝はその両方の技術開発に力を入れていました。入社後、様々に悩みましたが、結果的に原子力を選びました。未来への力強さを感じたからです。当時日本の原子力技術は米国技術のDead Copyでした。ひたすら米国の技術を英文資料から学びました。
最初の仕事は福島原発1号機の試運転データの採取の仕事でした。
勿論この原発は、米国GE社によって設計され、日本に導入されたもので、多くの米国技術者がこの建設に参加していました。
そのため完成したシステムの試運転も彼らが行うのですが、その合間を我々日本人技術者の卵が走り回って補助しながら、多くのことを学んでいました。
わたくしの担当は、原子炉が起動する段階での、原子炉内部における構造物の流体振動の挙動測定でした。
このGE社の技術者の中に多くの米国航空宇宙局の出身者がいました。彼らが互いに様々な議論をし、発想し、それを現実的なものにまとめ上げていくプロセスを常に見ていました。
この集団で発想と議論をまとめる技術プロセスは、大いに参考になりました。いまでも技術開発をしようとするときはこの当時を思い出し、現在も大いに役に立っていると思います。
その後、私の担当が決まり、原子炉内部構造物の設計と、原子炉を冷却する再循環システムの担当となりました。
次の福島2号機も米国GE社製でしたが、その原子炉構造物の製作と据え付けを担当しました。ここでは技術者の個性と発想の豊かさを学びました。
その次の福島3号機から国産となり、主契約者は東芝になりました。
初めて原子炉の設計を担当するにあたり、GE社の技術者の発想とデータまた製品化までの努力の過程を参考にしながら、再循環システムのコンピュータソフトを解読しつつ、制御方法も学びました。
このような経験を繰り返しながら、私が東芝を去るまでの32年間に、合計で16基の原子炉の設計、建設に参加しました。
中には蓄積した経験を基に、更に進んだ原子炉ABWRの開発設計にも関与しましたし、様々な原発の原子炉のメンテナンス技術開発にも参加しました。
メンテナンス技術の開発で大きなものは、強い放射能のため当時不可能と言われた原子炉内部に人が入って、原子炉内部構造物を一式新品に取り換える技術を開発したことです。
これにはさすがの米国GEの技術者も Unbelievable! ! と言ってました。
現在、わたくしは以上申し上げたような経験をベースに、原子力だけではなく、様々な技術開発に挑戦しています。
新エネルギーシステムの開発、新検査技術の開発、メンテナンス用リモートシステム、装置開発等々。
経営理念は、「情熱と勇気と知恵から新たな創造を」です。
もし、これから新たな創造をしようとしているお客様がいらっしゃれば、一言声をおかけてください。馳せ参じます。
また3.11の津波に伴う原発事故に関しては、収束のため弊社としてハード・ソフトともに最大限のご協力をさせていただく決意です。
今後も一層のご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
大日機械工業株式会社 取締役会長 小林雅弘




「情熱と勇気と知恵から新たな創造を」という経営理念をもとに、皆様にお役に立つ技術を、引き続き生み出していく所存です。